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伊藤 拓郎(いとう たくろう、1993年4月2日 - )は、群馬ダイヤモンドペガサスに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 徳島県阿南市生まれ、東京都練馬区育ち。小学2年から野球を始める。大泉西中では東練馬リトルシニアに所属、3年時にAAアジアチャレンジマッチ日本代表に選出される。 帝京高に進学すると、1年時春から公式戦に登板。背番号18でベンチ入りした第91回全国高等学校野球選手権大会の敦賀気比高戦の9回2死からリリーフとして登板し甲子園デビューを果たすと、最速147km/hを記録。続く3回戦の九州国際大附高戦では148km/hを記録して、中田翔が持っていた1年生の最速記録を更新した。秋からは背番号11を背負いながら主戦となり、春の第82回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦の神戸国際大附高戦と2回戦の三重高戦で2試合連続で完投勝利する活躍でベスト8入りを果たす。 2年になるとスピードを追い求めるあまりにフォームを崩し、制球が乱れるようになる。さらに、夏に背筋痛に苦しみ伸び悩んだ。同じくして、帝京高の投手コーチが退任し、投手を指導できる人物がいなくなったこともあり、このころから伸び悩む。夏は東東京予選5回戦で国士舘高に6-14でコールド負けを喫した。 その後も調子は上がらず、3年時春の都大会では初戦敗退を喫する。一転、夏は球速へのこだわりを捨て緩急で勝負することを決意し〔、東東京予選準々決勝の修徳高戦では7回参考記録ながらノーヒットノーランを記録。決勝の関東一高戦では9回1失点の完投で甲子園出場を果たした。第93回全国高等学校野球選手権大会では、初戦で大谷翔平がエースの花巻東高戦で先発し4回途中5失点で降板したがチームは8-7で勝利する。2回戦の八幡商業高戦では、定評のあった打撃を生かすため先発は後輩の投手に託し一塁手として出場した。チームは3-0とリードし9回表の守りにつくも、1死から連打を浴び1点を返された直後に逆転満塁本塁打を打たれ3-5で敗退した。結局マウンドに上がることはなかったが試合後はホームランを打たれた後輩や1年時から苦楽をともにした松本剛を笑顔で慰めた。 10月27日、プロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズからドラフト指名最後となる9位で指名を受け、11月22日に契約金1000万円、年俸450万円(金額は推定)で契約した。背番号は67に決定した。高校の同期である松本剛も、北海道日本ハムファイターズから2位指名を受けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤拓郎 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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